15年前の出来事です。
父の介護で最後に大きなミスをした。
入院した初日に尿バルーンを入れますか?
と言う看護師さんの言葉に。
夜間私が泊まるから大丈夫と言い断った。
父のl最後の言葉
『かあちゃんジャージャー(おしっこ)だった』
尿バルーン断らなかったらと自分を責めた事もあった。
これ以上介護が続いたら父と母が共倒れになったと思う。
運命だったと現実を受け入れる事にした。
今思うとこのミスは母の介護に大きなな影響があった
父が教えてくれた貴重な経験だったとも思っています。
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私も色々自分の責任で祖母がこうなってしまった、と思うことがあります。最初は私が通いながら看ていたのに、自分の精神面と体力がおかしくなっていって、兄も仕事が忙しく無理で、全部が私を頼りにした。限界に限界を感じ心療内科を訪ねすぐにDrストップ・・・一時期祖母を施設に入所させて私は治療に専念しなさいと。それから祖母は大腿骨を骨折したり(施設で)でどんどん弱ってきた。全部私のせいだと思う・・・今はまだまだ全部受け入れる事が出来ず少しずつですが受け入れなければと思うようにしていますが・・・あの時はああしなければ私も祖母も共倒れだった・・・今こうなってるのも運命なんですかね・・・まだ私のせいだと思っています。
みなさん、色々なことを抱えながら生きているんですね。
私自身、介護生活は始まったばかりで(と言ってもヘルパーさんに
助けられっぱなしですが…)まだ介護しているとは言えません。
ただ要介護4,5の両親を一人でみるのは正直不安です。
母はPEGなので在宅は無理かなと…訪問看護士さんも言って
ました。
仕事やめるわけにはいかないですし。
7月に円形はげが出来てしまいました。
ストレスがたまっていると体が症状を出しました。
治るかなぁ
こんばんわ。
介護って介護する側の健康管理も重要です。
〉限界に限界を感じ心療内科を訪ねすぐにDrストップ・・
仕方ないです。そこまで追い詰められていたら介護は無理です。
仰る通り共倒れしていた事は間違えないと思います。
誰でも自分を責める時期があると思う。
でも前向きに。。
私も
何時も前進と後退繰り返していますから。
過去記事
「いまのわたし」2009-06-03
http://sukekon.blog88.fc2.com/blog-entry-875.html
うちは介護と言うか育児と言うか9年間続いています。
胎盤剥離で親子で死に掛けたので(定期健診で異常なしっていわれて5日後に!)何がいけなかったのかなって悶々とした日々を過ごしました。始めは必死に理由を見つけようとする。次に努力したら何とかなるんじゃないかって倒れるほど頑張る。ここまで経験して
全てを受け入れようとする・・・っていうのが障害児の保護者のパターンです。低酸素で能に障害があるってわかったら旦那側の親に「こんな子うちの血にない」と言われ弁護士さん立ててとっとと離婚しました。(旦那のフォローがなかったから。経済的なことより自分の精神的なことを優先しました。大変な時にほど人間の本質って出るもんだ。)少しでも笑って暮らせると楽しいって思っています。子どもも大事だけどまずは自分の健康も!
それでは。
こんばんわ。
一度書いたコメントがアップ前に消えてしまいお返事遅れてしまいました。
独りで抱え込まないで、直接力になれないと思うけど
愚痴や相談を聞く事は出来ます。
何時でもコメント又はメール下さいね。
遠慮は入れませんから。
ここはそう言う場所なのですから。
何時も貴重なコメント有り難うございます。
読んでいると理屈でなくて
毎日が一生懸命。
それが生きるって事。
って思いました。
そこに楽しみが加わっているから長続きするだろうね。
高齢者介護で楽しむって簡単で難しい。
いつも有り難うです。